2008年7月4日金曜日

浄瑠璃寺

1047年 当麻(たいま)の僧義明が創立
西国薬師四十九霊場
関西花の寺二十五霊場
仏塔古寺十八尊

どいちゃん日記
絵馬めぐりout京都

城南宮

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・絵馬めぐり
平安京に都を定めた時 神功皇后三韓征伐船の旗を
城(平安京)の南に御神体として納め 
国土守護の神、国常立尊と神功皇后の霊をあわせ祀って
都の守護神とした

毘沙門堂門跡

703年 行基の創建
京の七福神のひとつ(毘沙門天)

壬生寺


園城寺(三井寺)の僧快賢が991年に建立
円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える寺
本拠が壬生に置かれた新選組(壬生浪士組)ゆかりの寺
洛陽三十三所観音霊場

松尾大社


5・6世紀の頃 秦の始皇帝の子孫と称する秦(はた)氏が
朝廷の招きによってこの地方に来住 
その首長は松尾山の神を同族の総氏神として仰ぐ
701年 秦忌寸都理(はたのいみきとり)が
文武天皇の勅命により現在地に神殿を営み 
山上の神霊を社殿に移す
二十二社の1つ

三十三間堂


正式名は蓮華王院
後白河上皇が院(政)御所「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」内に創建(1158)
平清盛の資財協力による

宇治上神社


神託を受けた醍醐天皇が901年築造
平等院建立の後はその鎮守社

お登勢大明神


お登勢 京都伏見の船宿である寺田屋6代目女将
坂本龍馬をはじめとする尊皇攘夷派の志士たちを保護
寺田屋は火災で消失 刀傷まである現存寺田屋は?

晴明神社


一条天皇が1007年安倍晴明のみたまを鎮めるために創建

天橋立 智恩寺(文殊堂)


室町時代13世紀初めに創設
奈良の「安倍文殊」、山形の「亀岡文殊」と並んで日本三文殊の一つ
文殊堂は808年に平城天皇の勅願寺として創建

県神社


「県」とは大和政権が設けた行政組織
祭神は木花之佐久夜比売(このはなのさくやひめ)
別名吾田津姫(あがたつ゜ひめ)
1052年平等院の総鎮守社となる
「あがた祭り」は暗闇の奇祭

御香宮


初めは『御諸神社』と称したが
平安時代862年に境内から香の良い水が涌き出たので
『御香宮』の名を賜る
1868年鳥羽伏見の戦いでは官軍(薩摩藩)の本営となった

東丸(あずままろ) 神社


1883年創祀
伏見稲荷大社に生まれた荷田春満(かだのあずままろ)を祭る
賀茂真淵の師で本居宣長らとともに国学の四大人の一人

許波多神社(木幡)


645年皇極天皇が夢のお告げを受け中臣鎌足に木幡荘に
社殿を造営させた

熊野神社


811年修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が紀州熊野大神を勧請
聖護院の鎮守神として別当を置き管理
京都の熊野三山の1つ

伏見稲荷大社


秦伊呂巨(具)(はたのいろこ(ぐ))によって711年創設
二十二社の1つ

平野神社

794年に平城京田村後宮から現在の地に御遷祀
二十二社の1つ

日向(ひむかい)大神宮


第23代顕宗天皇の御代に
筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建(古事記)

下御霊(しもごりょう)神社

疫病の流行は御霊の祟りであるとして
桓武天皇は863年御霊会を催す
この御霊会が上及び下御霊神社の創祀
上御霊神社の南にあり下御霊神社と呼ばれたが
豊臣秀吉の都市整備に伴い遷座
洛陽二十五社天満宮
廻文「長き世の遠の眠りの皆目ざめ波のり船の音のよきかな」

平安神宮


平安遷都1100年を記念して、
明治28年に遷都の父=桓武天皇をご祭神として創建

白雲神社

琵琶宗家西園寺家に受け継がれてきた鎮守社
1224年西園寺公経が北山殿(後の金閣寺)を造営するとき
修造した妙音堂が由来

山科 大石神社


1935年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため創建

菅原院天満宮

菅原道真の父是善、祖父清公、曽祖父古人の三代にわたり住んだ屋敷跡に建つ
道真の誕生の地といわれている場所の1つ
他に「吉祥院天満宮」「菅大臣神社」がある

白峯神宮


1868年明治天皇崇徳天皇を祭神とする本宮を飛鳥井家邸地に創建
崇徳天皇の流刑(保元の乱1156)地=讃岐国白峯御陵より皇霊を遷奉
飛鳥井家は蹴鞠道宗家で平安時代から鞠の守護神「精大明神」を邸内に祀る

梨木神社


明治維新の功労者 三条実万(さねつむ)・実美(さねとみ)父子を祀る
「染井の水」(醒ヶ井、県井とともに京都三名水の1つで唯一現存)
「萩まつり」

北野天満宮

少女多治比文子(たじひのあやこ)に託宣があり 947年朝廷は道真を祀る
二十二社の1つ
洛陽二十五社天満宮

御辰稲荷神社

1705年 東山天皇の側室・新崇賢門院の夢に出てきた白狐を祀るため創建
このお辰きつねは 琴が達者で 風流きつねとして知られる

吉田神社


859年 藤原山蔭が春日の四神を勧請し 平安京の鎮守神として吉田山に創建
春日の四神
  武甕槌命(タケミカヅチのミコト)
  経津主命(フツヌシのミコト)
  天児屋根命(アメノコヤネのミコト)
  比売神(ヒメガミ)
二十二社の1つ

千本釈迦堂(大報恩寺)


鎌倉初期1227年 義空上人によって開創
おかめ塚は本堂建立大工棟梁の妻 阿亀の内助の功を偲ぶ遺跡

白山神社


平家物語にも描かれた加賀白山の僧兵による神輿振の強訴の際
強訴の聞き入れらなかった僧兵らが担いできた神輿を放り出して帰ったため
その神輿を地元の人々が祀ったのが起源

岡崎神社

794年 平安京遷都に際し 王城鎮護のため都の四方に建てられた一つ
京都十六社朱印めぐりの1つ

錦天満宮


1003年 道真の父菅原是善ゆかりの歓喜寺の鎮守社として天満天神を祀る
1587年 豊臣秀吉の都市計画のため、錦小路東端に移転

2008年7月3日木曜日

音羽山 清水寺



奈良子島寺の延鎮上人が778年に開創
世界遺産
西国三十三所観音霊場


どいちゃん日記

六波羅蜜寺


951年 醍醐天皇皇子光勝空也上人により開創
西国三十三所観音霊場
都七福神(弁財天)

京都霊山護国神社



明治天皇が明治維新の成就を見ず一命を国に捧げた志士霊を祀らんがため創立

京都ゑびす神社

1202年 禅の祖 栄西禅師が建仁寺建立にあたり その鎮守として創建
福笹
都七福神の1つ

http://yaplog.jp/doikazuhiro/

新日吉(いまひえ)神社


1160年 後白河上皇が法住寺殿の鎮守として
山王七社の神々を近江の日吉(ひよし)大社から迎え創祀
末社の天満宮は 洛陽二十五社天満宮の1つ

宗像(むなかた)神社

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平安京創立の翌年 藤原冬嗣が桓武天皇の命によって皇居鎮護の神として創祀
天照大神の子三女神を総称して宗像大社という 
田心姫神(たごりひめのかみ) 
湍津姫神(たぎつひめのかみ) 
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

下鴨神社

世界遺産
正式名: 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
崇神天皇時代BC2に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録あり
それ以前からまつられていた?
糺の森周辺発掘調査で弥生時代の住居跡や土器がたくさん発掘
二十二社の1つ

河合神社


正式名称は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社
下鴨神社の摂社
鴨長明は河合神社禰宜長継の次男として1155年に生まれる

藤森神社


約1800年前 神功皇后によって創建
勝運・学問と馬の神社
菖蒲の節句発祥の神社
京都十六社朱印めぐりの1つ

乃木神社


「うつし世を神去りましし大君の御あと慕いて我は逝くなり」
辞世の句を残して殉死 桃山御陵の隣に創祀

安井金比羅宮

天智天皇御代(668~671)に藤原鎌足が創建
縁切り碑(いし)がある

新熊野(いまぐまの)神社


平安時代末期1160年 後白河上皇が創建
院政を敷いたときの住まいが 法住寺
その鎮守社として創建されたのが 新熊野神社
鎮守寺として創建されたのが 三十三間堂
「新」は 紀州の古い熊野に対する 京の新しい熊野の意味
京都熊野三山の1つ
京都十六社朱印めぐりの1つ

八坂神社


平安京建都以前 656年創祀 
渡来人八坂造(やさかのみやつこ)一族が住んでいた 
高句麗の使い伊利之(いりし)は
八坂造の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物とされている
洛陽二十五社天満宮(旧姓祇園天神)の1つ
二十二社の1つ

熊野若王子(にゃくおうじ)神社


1160年 後白河法皇が 熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請
京都熊野三山の
京都十六社朱印めぐりの

豊国(とよくに)神社

絵馬めぐり

1868年 明治天皇が
豊臣秀吉を天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣
であるとして再興を布告
京都十六社朱印めぐりの1つ